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【簡単解説】5回の結婚と27人の子どもをもうけた蓮如

浄土真宗本願寺派(別名・一向宗)

第8代法主・蓮如と聞いてピンときた方もいますよね。

加賀国に宗教国家を樹立したことで有名です。

一向一揆で有名ですが、蓮如という人物についてはあまり知らないのではないでしょうか。

タイトルにもあるように5回の結婚と27人の子どもたちのパパであった蓮如。

どんな人物だったのでしょうか。

貧しい生活をしていた蓮如

本願寺代7世法主の長男として生まれた頃、寺に参拝者はほとんどいない状況でした。

蓮如が成人してからも布教の成果は表れず、貧しい生活が続いていた。

嘉吉元年(1441年)、27歳のときに結婚して子どもをもうけていると伝えられているが、全員を養う財力がなく、禅寺の侍童や尼寺の尼僧に出していた。(長男は手元に残した)

この貧しい生活の経験が蓮如の布教に大きな影響を与えるようになった。

農民の貧しさをリアルにとらえることができ、説得力のある教えを説くことができた。

延暦寺との争い

蓮如の布教活動は門徒が訪れるのを待つのではなく、自分から村の人たちと向き合っていった。

村人が主体の「惣」という共同体が発達してきた時代であり、人々は平等を求めていた。

蓮如の教えには男女同権があり、多くの女性信者を獲得することとなる。

また、蓮如は本願寺の再興を目指し地方門徒の指導者に連絡をした。

北陸や東国と都を結ぶ交通の要所であった近江への進出を試みていた。

ただ、比叡山延暦寺が昔から権勢を誇っており、荘園を持つ近江の農民が本願寺門徒になることを恐れていた。

寛正6年(1465年)、延暦寺の衆徒が京都東山大谷にある大谷本願寺を襲撃する事件が起きる。

蓮如は堅田へ向けて逃れたが、本願寺は徹底的に破壊された。

大谷本願寺が破壊された後も延暦寺からの攻撃が続いたが、蓮如は近江各地を布教して回った。

富樫政親と幸千代の家督争い

まず蓮如は加賀に近い越前国吉崎に進出する。

日本海に面した北潟湖に3方を囲まれた高台に御坊を建設した。

これは守りやすい地形だったと考えられる。

吉崎は交通の要地でもあるし、友好関係にある興福寺大乗院領であったことも関係があるのだろう。

蓮如は吉崎進出にあたり、朝倉孝景と親交を深めていた。

この吉崎には諸国から門徒が参拝に来るようになり、寺内町も誕生した。

北陸での本願寺門徒が増加していた頃、加賀守護の富樫政親と弟の幸千代との間で家督争いが起こった。

また、越前では領主の朝倉孝景が幸千代と戦っていた。

北陸では高田専修寺派が主流で、加賀では幸千代側について参戦し、富樫政親を敗走させ依然勢力を保っていた、

高田専修寺派は本願寺の普及の妨げとなっており、朝倉孝景から手を組むことを申し出されている。

蓮如は戦いに消極的だったと言われているが、門徒たちは富樫政親に協力して戦うことを望んでいた。

本願寺門徒の協力を得た富樫政親は幸千代軍を撃破することに成功。

この戦い以後、一向一揆勢力が力を誇示し始めることとなる。

富樫政親との争い

加賀一国を治めるようになった富樫政親ではあったが、本願寺門徒が勢いを増すことに危惧を抱いた。

ついに富樫政親と一向一揆との争いが始まる。

この戦いは富樫政親の勝利に終わった。

しかし、その後も富樫政親と一向一揆の争いが起こり、政親は将軍足利義尚からの書状を近隣の大名に送り援軍を求めるようになった。

近隣の大名はこれに応じたが、加賀の国境が一揆勢に封鎖されていたこともあり、高尾城まで行くことができなかった。

富樫政親の籠もる高尾城は20万の一揆勢に囲まれ、最終的には自害することとなった。

この結果、一向一揆は加賀の全権力を掌握することに成功した。

守護・富樫政親を破り加賀の支配者となった一向一揆も戦国時代の中に取り込まれていくこととなる。

84歳で27人目の子ども

蓮如は5回結婚し、27人の子どもをもうけている。

最初の妻(如了)との間に4男3女

2人目の妻(蓮祐)との間に3男7女

3人目の妻(如勝)との間に1女

4人目の妻(宗如)との間に1男1女

5人目の妻(蓮能)との間に5男2女

最後の子どもは84歳のときだったと言われている。

ちなみに、5人目の妻とは蓮如が72歳のときに結婚しており、そのとき蓮能は20歳そこそこだったと言われている。

明応8年(1499年)、蓮如は85歳で亡くなった。

蓮如の後継者は実如となる。

まとめ

本願寺派の布教に成功した蓮如。

今までの布教の方法にとらわれず、自分の実体験に基づいたものだったところが受け入れられたのではないでしょうか。

また、84歳で子ども作るとういう偉業を成し遂げています。

普通の人にはできないことを成し遂げた蓮如。

この後の戦国時代で一向一揆は壮絶な戦いを行っていくことになります。

蓮如はそのことを知ったらどう思うのでしょうね。

尼子経久・北条早雲に続いて蓮如について見てきました。

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他にも気になる歴史人物がいたら記事にしたいと思います。

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